医師 前田 浩利


umi030真っ青な空に、入道雲、強い日差し、今年も夏がやってきました。私の生家は、鹿児島県の沖永良部島という南西諸島の小さな島にあります。2階にあるわたしたち兄弟の部屋の大きな窓からは、海が見えました。家から5分も歩くと、珊瑚が砕けてできた白い砂浜と小さな港があって、海の匂いがします。夏になると、海の匂いがそれを運ぶ暑い風と一体になって、その存在感を強くするようで、私は、この季節の海の匂いがとても好きでした。

名前に「海」の字がある13歳の男の子、たく君は、自宅も海の近くで、お宅に往診に伺うと、だんだんと海の匂いがしてきて、私は、何だか懐かしい気持ちになったものでした。彼の病気は、脳腫瘍でした。12歳の時に、徐々に歩けなくなり、おかしいと思っていたところに、けいれんが起きてしまいました。そして詳しく調べた結果、脳腫瘍の中でも難病の脳幹部神経膠芽腫という病気であることがわかりました。地域の専門病院に入院し、腫瘍の摘出手術を行いましたが、全ては取りきれず、抗癌剤による化学療法や放射線療法を行いましたが、効果は不十分で、手術から3ヶ月後、左半身の麻痺が進み、脳に脳脊髄液が溜まる水頭症が進行してきました。手術から6ヶ月が過ぎようとする頃から、彼はだんだんと動けなくなり、食べ物もうまく飲み込めなくなってきました。そして、鼻から胃へと通したチューブから栄養剤を入れなければならなくなった頃、主治医の脳外科医は、ご両親に残された時間は1ヶ月程度と告げたのでした。

ご両親は、もしこれ以上の治療ができないなら、彼の残された時間を、家で兄弟やおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に過ごしたいと考え、自宅に連れて帰る決心をしたのでした。そして、わたしたちに往診の依頼がありました。

初めての往診で会った彼は、寝たきりでしたが、いかにもスポーツが好きそうな爽やかな印象の男の子でした。左の鼻から胃までいれた栄養チューブが少し煩わしそうでしたが、話しかけると、目を開き、頷いてくれました。往診開始直後、脳の腫瘍が大きくなり、水頭症が進行し、胃にいれた栄養チューブから注入したものも吐いてしまうようになり脱水になってしまいました。私は、胃チューブからの栄養や水分の補給は限界と考え、ご両親に中心静脈栄養と言って、心臓の近くの太い静脈にカテーテルを挿入して、そこから栄養や薬を入れる方法を提案しました。そして、ご両親のご希望によって、もう一度手術をした病院に入院して、その処置を受けることになりました。約3週間の入院を経て、彼は退院しました。退院したその日の往診の時に会った彼は、鼻のチューブは抜けていたものの、もう既に、声をかけても目を開けることや頷くことができなくなっていました。

退院してから3日目、呼吸がゼイゼイしていて苦しそうだという連絡を受け、臨時の往診を行いました。脳腫瘍が大きくなり、脳の圧を上げ、呼吸中枢が十分働かなくなっているようでした。私は、ご両親に、このままだと残された時間は1週間以内と考えられることをお伝えし、家でできる治療、病院でできる治療のメリットとデメリットをお伝えした上で、自宅で最期まで過ごすかどうかのお気持ちを伺いました。ご両親は、はっきりと、最期まで家に居させたいと仰られました。

それから3日後、祝日の午前中に往診に伺うと、彼の呼吸はかなり浅くなっており、もう残された時間はせいぜい1日だと思われました。そして、一旦、ご自宅を辞した後、彼の呼吸が止まったとの連絡があり、急いで伺いました。その日も暑い日で、いつもなら心和む彼の家の近くに漂う海の匂いを感じる余裕も無く、彼の部屋に入ると、既に、彼が入院していた病院の脳外科の担当の先生がいらっしゃいました。その日は祝日で、非番だったため、たまたま見に来てくださったとのことでした。彼は、穏やかな顔をして、ベッドに横たわっていました。周囲には、ご家族が取り囲んでいます。自分の部屋で、家族と、これまで一緒に戦ってきた主治医に囲まれている彼を、私は、これが彼の世界なんだと思いながら、見守っていました。

全てが終わり、彼のお宅を辞し、車を走らせながら、私は、何とも寂しい想い、もう少し時間があったら、彼といろいろ話ができて、いい友人になれたのではないかという残念な想いと同時に、わずかでも彼と大切な時間を共有させてもらい、家で見送りたいというご家族のお気持ちを支えることができたことの有り難さが胸に広がっていくのを感じていました。

 名前に海の文字があり、海の匂いのする家に住む彼が逝った日は、海の日でした。その不思議な符号と、そして、短いけれど忘れがたいかけがえのない出会いの思い出が今も私の心には残っています。