Most Impressive Case Report 2025.5 研修医A
Most Impressive Case Report 2025.5 研修医A
【症例】12歳 女児 上衣腫再発、終末期
【周産期歴】
2012/9/19正常分娩で出生
【既往歴】アトピー性皮膚炎
【現病歴】
2015年12月(3歳3か月)に頭痛と嘔吐が出現し、第四脳室内上衣腫と診断された。同月、開頭腫瘍摘出術と局所放射線治療(54Gy)を実施され自宅退院となった。2017年3月(4歳6か月)に再発病変を指摘され再手術、その後サイバーナイフ(27Gy)を追加照射された。2017年8月(4歳11か月)に放射線照射による脳浮腫の急性増悪で水頭症が出現した。オンマイヤリザーバー留置で症状の改善認められたため、シャント術は施行されずに自宅退院となった。その後2018年12月(6歳3か月)、2019年8月(6歳11か月)、2020年8月(7歳11か月)、11月(8歳2か月)にそれぞれ再発腫瘍を認め、開頭腫瘍摘出術を実施された。2020年11月(8歳2か月)に化学療法(アバスチン)を開始され、以降外来で継続している。2021年4月(8歳7か月)から複視と体幹失調、5月(8歳8か月)から顔面神経麻痺、6月(8歳9か月)から嚥下障害などの脳幹症状が出現し、腫瘍の播種性変化と放射線性壊死による症状と推定された。2021年11月頃より胃瘻造設を検討していたが、ご両親は現状維持をご希望されていた。その後も徐々に嚥下障害によるむせこみ、右上下肢の麻痺(MMT4)、左聴力低下などが出現した。2022年2月(9歳4か月)から中枢性無呼吸(SpO2 40-70%)となり終末期であることを説明され、ご両親より延命治療は行わない方針を確認された。2月11日に当院の初回訪問診療を実施された。
【医療資源】
・病院:A病院 脳外科、小児科
・リハビリ、看護:B事業所、C事業所
・デバイス:
オンマイヤリザーバー留置中(これまで使用なし)
HOT、簡易モニター、アンビューバック
【訪問診療導入後経過】2022年2月11日初回訪問診療
2022/ アバスチンは2→3→4週間毎に投与。MRIで著変なし。
02/11 夜間のみ低用量酸素を使用開始(5L吹き流し)
08/03 訪問栄養指導開始
2023/ アバスチンは4→6週間毎に投与。MRIで著変なし。
02/22-28 摂食低下、活気不良あり。
03/30 頭痛あり臨時往診 コートリル1回内服で症状軽快。
04/23 食欲低下あり、コートリル朝1回内服開始。
04/29-05/02 PSL 2.5mg/day→食欲回復しPSL終了。
05/15 閉口困難で食事量減少、PSL 1回内服で回復。
2024/ アバスチンは6→8→12週間毎に投与。
01/25 「ハワイに行きたい」という目標ができた。
04/08 初回の痙攣発作、すぐに自然頓挫
04/18 痙攣発作に関しては酸塩基平衡の変動による一過性の筋攣縮と推定。
07/25 食欲低下に対し再度PSL内服、食事を1日2回から3回へ
08/08 痙攣発作あり、A病院へ救急搬送・緊急入院。
→脳幹部に腫瘍あり。MRIでは放射線性の海綿状血管腫の疑い。
痙攣の原因としては二酸化炭素ナルコーシスと考えられた。
→酸素投与は0.5L/minと最低限にして、換気を優先して行う方針となった。
08/10 退院
11/14-15 睡眠中に経皮CO2モニタリング実施
(鼻カヌラ0.5L/minで経皮CO2 85-105程度を推移)
12/13 zoom会議①(現状の確認と今後の選択肢について)
2025/ アバスチンは3→6か月毎に投与。
01/30 NHF装着(10L/min)試すも本人の拒否強い
02/03 NHF装着中にSpO2 8まで低下のエピソードあり→NHF装着は断念
04/22 zoom会議②(今後の呼吸管理の方針)
【上衣腫について】
脳室壁や脊髄中心管を構成する上衣細胞への分化を示す腫瘍。原発性脳腫瘍の1%と稀だが、0-4歳では全脳腫瘍の20%を占めている。小児では第四脳室発生が多く、脊髄腫瘍は少ない。治療に関しては可能な限りの全摘出が推奨されており、慣習的に3歳をカットオフとして放射線治療も行われている。化学療法に関して現行のガイドライン上は強い推奨のレジメンはない。全体での5年生存率は約70%である。
再発時の平均無増悪生存期間は約半年、再発からの平均生存期間は1年未満と予後不良である。再発時には手術、放射線治療、化学療法を併用する。
参考) 2021年版脳腫瘍診察ガイドライン小児脳腫瘍小児AYA世代上衣腫ガイドライン
【考察:本症例における訪問診療の役割について】
#1. 上衣腫(再発、終末期)
3歳で発症してから外科的治療と放射線治療を繰り返されてきた。8歳からアバスタチン投与開始となりその投与間隔は徐々に延長している。現在は半年毎の投与。
原病としては訪問診療導入以降は比較的安定して経過しているが、播種性変化及び放射線性壊死に起因すると考えられる脳機能障害は進行しており、これによる各症状に対処してQOLを支持することが在宅医の主な役割と考えられる。
#2. 中枢性無呼吸
9歳の頃から無呼吸による酸素化の著明な低下を示すようになり、終末期として訪問診療を導入した。無呼吸から低酸素・高二酸化炭素血症を来し、度々の痙攣発作も認められている。医学的には気管切開術を行い人工呼吸器により呼吸を担保することが望ましいと考えられる。
しかしながらご両親は気管切開術を含む延命治療は行わない方針で(後述)、現在は鼻カヌラでの酸素投与のみとなっている。睡眠中などは特に無呼吸になりやすく、低換気になった場合はご両親がアンビューで強制換気を行っている状態である。NHFやCPAPなど低侵襲のデバイス導入も検討されたが忍容性や今後デバイスに依存して暮らすことへの抵抗感、装着していても酸素化低下のエピソードあったことなどから導入には至らず。一方都度アンビューで対処する現状にも疲弊が見られてきており、今後の呼吸管理についてはチーム全体で検討する場が持たれている。
#.3 栄養不足
嚥下障害や顔面麻痺があり食事形態に配慮を要する。また成長期であり、限られた食事の中で必要十分なカロリーや各種栄養素を摂取することも求められる。「食」はご本人にとって日々の大きな楽しみとなっており、3か月に1回訪問栄養指導を行いながら、現在はペースト食やミキサー食を1日2-3回経口摂取している。
#.4 心理的負担
〈ご本人〉
発病により今まで生活が一変し、怖い検査や辛い治療も沢山受けてきた。現在は基本的に自宅で毎日を過ごし、家族や訪問診療チーム以外の人と接する機会はほとんどなく、ご本人からも「暇で辛い」という旨の発言があった。体調の許す範囲でディズニーや旅行に行っており、11歳の時には「ハワイに行きたい」という目標ができたことで、その夢を叶えるためにはどうしたらよいかという視点でも介入している。現在はオンライン授業を受けており登校はしていないが、同世代との関わりも必要であり、これから少しずつ登校をトライしていく方針。CLS訪問も行っておりまずはご本人の気持ちを表出してもらうことが重要であると考えられる。
病状に関しては3歳で発症した際に「頭の中にバイキンがいる」という説明を受けて以降、現在までほぼ同じ言い回しで説明されてきている。ご本人の社会的経験の不足や、おそらく知的に年齢相応ではない部分が考慮されるにしても、ある程度の年齢を重ね、今後少しずつ自己決定を求められるようになることを考慮すると、ご本人の理解可能な範囲で「がんの終末期であること」を適切に伝えなければならないという課題がある。
〈ご両親〉
我が子が病気を患う悲しさ、いつ危篤状態に陥るかも分からない緊張感を持ちながらも、日々治療方針に関する選択やACPを迫られており、心理的負担はとても大きい。現在ご本人の最大の楽しみである発声や経口摂取が困難になること、これまでも沢山辛い治療を頑張ってきた我が子にこれ以上辛いことをさせたくない、という思いから気切は行わない方針を選んだ。訪問診療チームとしては、ご両親が知りたいと思う医学的な情報を適切に提供し意思決定の助けをするとともに、「本当にこの選択で良かったのだろうか」と不安に思うご両親の気持ちに寄り添って支持することが最も重要な役割である。
#5. 兄弟児支援
高校1年生の姉が1人いるが、受験のタイミングなどを考慮しこれまで詳細な病状説明は行われてこなかった。今後どこかの時点で自宅でのお看取りが予想されており、それまでに姉の中でも病状理解や受け入れが必要である。自宅に入って診察するからこそご兄弟と実際に交流することもでき、訪問診療で積極的に介入していくべき分野とも言える。
【本症例を通しての感想】
カルテを予習した時、率直にどうして気切をしないのだろうか、と思いました。侵襲的なことをしたくないのも分かりますが、アンビューでの対応は非効率的だし、もしも低酸素に気付けなかったらあっという間に急変してしまい安全性にも欠けると思ったからです。実際に訪問してみるとご本人はとても元気にお喋りをしてくれて、テレビで流れてくるご飯の映像を見ては「美味しそう!」とはしゃいでいました。その姿を見てご両親の気持ちや決定の訳が少し分かった気もしましたし、より家族に近い視点で見られるのが在宅の良い所だと感じました。
一方で本症例は終末期として訪問診療が導入されてから3年が経過しています。当初想定されていたよりも長期間生存できたことでご本人も着実に成長しており、ご両親の意見だけでなくご本人の自己決定も問題になってきています。「Zoom会議の際に『ご本人の気持ちはどうか』と言われて考えさせられた」というご両親の発言もあり、ご本人にどうやって病状を理解してもらい、病気と共に生きることについて考えてもらうかが今後の1番の課題であると感じました。DNARを取りに行くACPになりがちな病院とは異なり、チーム全体で時間をかけて話し合いの場を設けられている様子を見て感銘を受けるとともに、病気を診ずして病人を診る、とはこういうことなのだと思いました。
【研修を通しての感想】
私はNICU志望なので、NICUを出た患児がその後どのような医療的サポートを受けているのかその実際を見ることができたら、という思いからあおぞら診療所での研修を希望しました。実際に研修を行ってみると小児の在宅医療について知識不足であったことを痛感しました。更に言えば病院にいる時には在宅医療があまりにも見えなさすぎる、と感じました。小児科の場合は病院の主治医と在宅医が併走して患児の診療にあたっているためお互いの診療がもっと明確に見えている必要があり、現状での課題の1つかと愚考しました。もう1点印象的だったのは、小児医療の特徴として「患児の成長に伴って疾患との付き合い方も変わる」、という点です。悪性腫瘍や脳性麻痺など長期・生涯に渡って治療を要する子がいる一方で、在宅診療を卒業できる子も一定数いることを知りました。成人の在宅診療が終末期にむけたサポートが主になりがちなのに対し、小児の場合はあくまでもその子の成長のサポートがベースにあると感じました。
この4週間、自分の今後のキャリアや現在の小児医療の在り方について、これまで全く触れてこなかったことを沢山考えさせられました。今回の研修で感じたことや勉強したことを胸に留め、小児科医としてまたどこかで皆さまとご一緒できるように今後も精進して参ります。ご指導くださった先生方、いつもサポートしてくださったPAさん始めとするスタッフの方々、4週間誠にありがとうございました。