Most Impressive Case Report 2025.6 研修医A
Most Impressive Case Report 2025.6 研修医A
【症例】21歳男性 寝たきり
#滑脳症#重症心身障害#難治性てんかん
#摂食嚥下障害#発作性交感神経過活動#ネグレクト疑い
【現病歴】
正期産(39w4d, 出生体重2394g, 仮死なし)で自然分娩で出生した。生後2か月でけいれん発作から心肺停止となり、蘇生された。生後5か月で滑脳症と診断され、余命6か月と宣告された。A病院で外来管理を継続しつつ、自宅での看取りを希望して、2011年5月(7歳)よりあおぞら診療所での訪問診療を開始された。
2015年(11歳)一時的にけいれん重積状態となり危ぶまれるも、抗けいれん薬の調整により緩解した。2016年8月(12歳)に痙攣発作・不眠・呼吸筋疲労・肺炎を呈したが、抗菌薬加療で改善した。同年11月(13歳)に高熱遷延し、水分摂取困難となるも点滴加療により改善した。2017年1月(13歳)から不眠・興奮・笑い発作あり、一時的に水分摂取が滞り、脱水による急変が危ぶまれたが、ビオチン開始・経鼻吸引導入により改善した。状況変化の度にACP(Advance Care Planning)を行ったが、母のDNAR(Do Not Attempt Resuscitation)の意向は変わらなかった。以降は概ね安定しており、ワコビタールとレキソタンでけいれんコントロールしながら経過をみていた。
【最近の経過】
2025/4/9 お花見後から元気なく、抗菌薬内服開始
4/13 発熱
4/15 WBC 15700, CRP 19.82→尿路感染症または肺炎疑いでCTRX開始
4/16 以降解熱維持し炎症反応低下傾向
4/23 経口摂取するも嘔吐、黒色便出現
4/24 再発熱、頻回血性嘔吐出現
→頻回嘔吐に伴う胃粘膜障害や感染による凝固障害が疑われた
ガスター、プリンペラン投与開始
4/26 ACPを実施し改めてDNARを確認
4/27 血性嘔吐、黒色便改善も食事摂取続かず、感染繰り返し点滴を継続
6/04 点滴漏れに伴い、皮下点滴に切り替え
6/12 皮下点滴による足部浮腫のため抜針
6/13- 皮下点滴再開の希望なく終了し、以降わずかな経口摂取のみ
6/20 死亡確認
【家庭環境】
母:患児出生時より離婚しており、ほぼ一人でケアしている。
リウマチ性多発筋痛症、橋本病、過敏性腸症候群、パニック障害の既往
兄:3歳年上。医療事務として病院勤務しており、現在は別居。
【身体所見】(6/3 末梢点滴実施中)
SpO2 100%(O2 6.0L/min(経鼻カニューレ)), HR 60/min, RR 15/min
仰臥位、上肢の自発運動あり、表情穏やか、追視あり
呼吸音:清、呼気延長なし、左右差なし
腹部:軟、腸蠕動音 亢進・減弱なし
末梢冷感なし、皮膚きれい
【考察:在宅医療におけるACP】
重症児は病状進行の程度が様々であり、今後の病状についての予測を的確に行うことは困難である。慢性の経過であるがゆえに普段から関わる患者・家族と点で関わる医療者では病状の捉え方に開きがあることが多いため、ACPがより重要といえる。
ACPとして、①本人の病状とそれに対し今後起こりうることと対応方法、②死に直面した状態の際には自宅でできる終末期の緩和方法や心肺停止についてといった内容を具体的に説明し、親の子どもに対する人生観や死生観、希望を踏まえ、どのような医療を望み、医療を受けどう生きてほしいのかをともに考えていく必要がある。
また、重症児のACPでは代理意思決定をする場合が多く、医療者は虐待防止支援的介入が時に重要となる。
〇本症例に関して
今回の経過の問題点としては以下が挙げられる。
母は診断当時から児の余命宣告をされ、生に対しての諦めがあった。また、入院時のトラウマから通院に対する陰性感情が強く、救急搬送は心停止時のみとの希望があった点や、通学や通所をしてこなかった点などからメディカルネグレクトが疑われる症例であった。その中で児の何度かの体調悪化からの回復や本人のマッサージをしてもらいたいという意思表示をきっかけに「児が一人の立派な人間なんだ」という実存的な体験、幼いときは児と並んで歩くのを嫌がっていた長男が医療職を目指すようになるなどのレジリエンスを経て、母と児の健康観(気持ちよく食べて、気持ちよく寝て、気持ちよく日中を過ごして、できれば元気に外出できること)を育くみながら21年間を過ごしてきた症例である。
経口摂取ができない状況でPICCや経管栄養を行うことは、母にとっての健康観にそぐわず、「延命治療」と捉えてしまうのは当然であるが、児は成年移行期であり、母の推定意思を完全に尊重してよいかは慎重な判断が必要であった。医師が指導者的役割、訪問看護師が結論は言わずに母に寄り添う支援者的な役割を担いながら、意思決定のサポートが行われた。
研修医としての視点
若年男性であることから、経静脈栄養ないしは経管栄養を継続することで経口摂取可能となるまでの回復が期待できる状況であった。点滴中断による脱水症状や低血糖症状、電解質異常などの身体的苦痛を考慮すると、PICCや経管栄養すらも行わないという判断は医学的妥当性には欠けると考えられた。
ただ、一研修医の視点として、回復の可能性を提示してまで、母にとっての「延命治療」を勧めることは控えた方が良いと考えた。理由は医学的根拠のみに基づいた医療行為の差し控えは時に患者・家族に後悔や自責感を抱かせることにつながるのではないかと考えたからである。今までの研修で医学的妥当性に基づきBSC(Best Supportive Care)の方針となってきた症例に関して想起した際に、癌末期やショックなどの「手遅れだった」「運が悪かった」症例が多いと感じた。このような症例は医師にとっては介入の余地がなく、受容しやすい一方で、患者・家族にとっては時に後悔や自責感が伴う。医学的根拠をもとに医療的介入を行い、「医学的に妥当な死」まで延命するよりも、母親の推定意思を尊重して、母と児の「健康」を全うしていただく方が、死の受容やその後の心理的回復につながるのではないかと考えた。
医療的介入をしない以上、母の心理的負担(医療的介入を拒否することに対する罪悪感、自らの選択への葛藤、我が子の死への恐怖)への介入に重点を置く必要がある。そのためには医療者含め関係者全員で選択した結果であるということを強調すること、「抜針によって表情が明るくなっている」ことから本人にとって最良の選択だったと強調すること、家族が望む終末期の過ごし方を尊重することが重要と考えられる。
【本症例を通しての感想】
若年男性に対してPICCや経管栄養すらも行わないという判断は、病院での医療しか見てこなかった私にとっては、正直介護疲れから選んでしまった選択なのではないか、本人の意思は尊重できていないのではないかなどと疑ってしまう部分がありました。しかし、実際に往診に同行させていただいて、寝たきりとは思えないほど肌の状態が良いことや、表情が良い様子から、ご家族が愛情をもって入念なケアを行ってきた結果だということが分かりました。その分、今回の選択を後悔してしまうのではないかと心配にもなり、先生方の「母の選択を「正解」にするために寄り添うことが大事」「母が罪悪感を感じてしまうなら、医療者も「共犯者」であることを強調すべき」という姿勢に感銘を受けました。勉強を続ける中で、医学的な正解にばかり拘るようになってしまっていましたが、終末期においてそれを突き付けることの危うさを実感し、患者さん・ご家族の心情を第一に、状況に応じて柔軟に寄り添うことの大切さを学ばせていただきました。
【参考文献】
多田羅 : 難病と在宅ケアvol.23, No.5, pp 43-46, 2017
雨宮 : 日本重症心身障害学会誌 44巻 1号 pp121-125, 2019