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Most Impressive Case Report 2022.12 研修医A

Most Impressive Case Report 2022.12 研修医A

【症例】23歳女性
【診断】右上腕骨骨肉腫 両肺転移
【現病歴】2016年12月(高校3年生の時):A病院で右上腕原発骨肉腫と診断。
2017年1月:JCOG0905試験(治験)に参加して治療開始。
2017年4月:手術施行。壊死率50%以下。術後、受験を理由に本人の希望で治験から離脱しMAP療法で治療した
2018年:B大学に合格、東京都に転居。A病院からC病院に転医。
2019年:3月に右肺多発転移で第一再発。5月9日から大量IFO療法を6クール施行、5月29日に右気胸に対してドレナージ術。6月18日に右肺葉切除術、12月24日に左肺転移巣摘出術。
2020年:4月27日に右胸壁転移、胸水で第二再発。4月30日から右胸壁腫瘍に対して放射線照射28Gy/7Fr。5月30日からGEM+DTX療法を8クール施行。11月24日からregorafenib療法を開始。
2021年:5月14日に右上肺野腫瘍生検、6月16日に同部位に放射線照射。517日からTem/Etp療法開始。8月に右胸膜に新規病変あり、9月21日から右下肺に対して放射線照射25Gy/5Fr。
2022年:5月15日からまで治験治療を行ったがPD。8月16日にTem/Etp療法(14クール目)。両肺および胸膜腫瘍は緩徐にPD、右肺の胸膜病変、胸腔内の病変が増大傾向。予後予測は難しいが、大学に通えるステータスは1か月以内と考えている。
【出生歴、周産期歴】特記事項なし
【アレルギー】薬物、食物ともになし
【既往歴】小児喘息
【栄養】経口摂取
【生活歴】現在、B大学に通学中。
【家庭環境】両親、妹のと4人家族。父は単身赴任中。母は現在休職中。
【医療資源】
病院:C病院、ST:D ST、薬局:E薬局
【薬剤】コデインリン酸20mg 4錠1日4回、ナルサス錠6mg1錠1日1回、ナルサス錠2mg2錠1日2回、ホスリボン3包1日3回、塩化カリウム600mg4錠1日2回、チラージン25μg1錠1日1回、デカドロン0.5mg4錠1日2回、ネキシウム20mg1C1日1回、スインプロイク0.2錠1錠1日1回、ダイフェン1錠1日1回、カルボシステイン250mg3錠1日3回、アスベリン3錠1日3回、アセトアミノフェン500mg3錠1日3回、ナイキサン100mg3錠1日3回、レボフロキサシン2錠1日2回
【医療デバイス】HOT導入中(安静時使用なし、労作時のみ使用可)CVポート(左腕)

【訪問診療導入後経過】

2022年11月21日(初回往診):咳嗽あるが呼吸苦はなく酸素需要なく経過。
右胸壁の腫瘤は見た目にも突出しており、違和感と痛みあり薬剤コントロール中。
11月25日‐12月1日:放射線照射①-⑤ ナルサス10mg/日開始
12月5日(往診②):採血(血液型、クロスマッチを含め)実施。コデインリン酸塩錠5㎎16錠1日4回を咳嗽への対策として開始
12月6日-12月9日:Tem/ETP♯17d23 ♯17d24 (C病院)
38℃台の発熱、血圧低下、骨髄抑制ありFNとして入院。RBC輸血、G-CSF投与、補液、CFPM開始。
12月9日 往診③(午後)
食欲低下はあるが本人の大学に通いたい気持ちを大事にするならもう少し補液はしない方針に。
12月12日:DEX増量により食欲は回復、午前に発熱あり採血実施。熱源はっきりせず腫瘍熱の可能性高いためナイキサンを内服開始、やや傾眠傾向。
12月14日 小児科 緩和 放射線科(フォロー) 次回治療については減量あるいはBSC

【AYA世代の癌患者について】

・AYA世代とは思春期・若年成人世代のこと。AYA世代の癌の治療成績はほかの年齢層よりも悪いとされている。
・日本では一般的に高校生以上は成人診療科で診療されるが15-19歳の思春期世代では心身ともに発達過程にあることから日本小児科学会では小児科での診療を推奨している。
・心理的・経済的な自立の途中にあるA(思春期)世代と自立した生活を送り始めたYA(若年成人)世代ではニーズや対処の仕方が違う。
・思春期世代では心身の成熟とともに親からの自立の過程にあるが、がん治療によって学業や就労が遅れたり中断したりしてしまい、自立心に対する焦りがある。
・あるAYA世代終末期患者の一例では看護実践として
①関係性をじっくり育て、今まさにある気持ちを知る
②本人主導を貫き自己表現を後押しする
③家族の潜在力を信じて家族をゆさぶり繋ぐこと
が重要視されていた。

【AYA世代の終末期と本症例に対する考察】

● AYA世代の方では同じ年齢であっても自立の度合い、家庭環境、就学・就労・経済的状況、ライフプランには個人差がある。
自己決定支援が重要。学校に関しても一律に休学とせず現時点で使える制度や医療者が収集した情報を提示して自己決定を期待したい。大学生だと大学ごとの教務担当や学生支援部署に相談することも考える。
→本症例では、大学にできるだけ通いたいという意思あり。看取りの場所に関しても緩和ケア病棟や家の選択肢があるが、選択肢を提供するだけであり選択は自分で行ってもらう方針としている。また悪液質による食欲低下があってもすぐに点滴加療とせず食欲回復に望みをかけている。
● 終末期にはたびたび患者と家族のコミュニケーションの乖離が指摘されており本人と家族が十分に話し合えていない状況があり得る。
→潜在的には親への依存心もあり、自立心との葛藤が生じている。また、余命に対する不安や苛立ちもあるので、患者の人となりを知り、患者にとっての病気が持つ意味を理解するべきである。
→本症例では、本人は頭がよく独立心が強い方であった。昔から母が「母の仕事は子供を独り立ちさせること」と言い聞かせてきたせいか、C病院への受診も母の付き添いがあるものの一人で行けると思っており、母親をおせっかいだと思っている様子もある。本人はコミュニケーションが苦手なのか昔から友人が少ない。
母親は親子の関係性に不安を覚えているようであったが「身内よりも赤の他人のほうが話しやすいこともあるかもしれない」という言葉に少しほっとしていた。
本人と家族の関係性を把握し、母親に反抗できること自体が患者が自己という存在を確立してきた証と捉えこれまでの患者の成長を支えてきた家族をねぎらい、家族へのケアを一貫して行っている。

【本症例と研修全体についての感想】

普段病院でいると見れないような、家での子どもたちの暮らしぶりを見ることができた。
訪問診療に行って診察、処置をしている状況は病院のような風景ではあるもののやっぱりそこは家であり家族が生きているところであるという印象をうけた。その中でもやはり余命が短い子どもたちの往診での家族の様子や子どもたちの表情は脳裏に焼き付いている。学生時代に、高齢者の往診に同行させていただいたことがあるがやはり小児往診では家族たちの表情をより一層うかがい、言葉の重みを感じた。
今回発表した症例では、子どもと大人の看取りの違いについて考えさせられると同時にその境目について意識するようになった。「こども」と言われる時代は過ぎ去っていてもまだ大人になり切れない感情をもつ子はたくさんいると思う。一般的に「むずかしい」年頃とされるようなモラトリアム時期に自分の余命という厳しい現実を突きつけられる子のケアは「こども」を診る小児科医としては「むずかしい」として無視することはできない。私自身もつい最近まで大学生であった。私にとっての大学は自分の興味のある分野を学ぶこともできれば、机の前では学べないような社会を経験することもできた。それぞれのキャンパスライフは自由なものでありそれが幸せであったと思う。
そのような時期に知らされる余命宣告は恐怖でありとてつもない不自由をつきつけるものである。
病院での治療継続や緩和ケアだけでなく自宅での看取りであっても、やはりできるだけ自由を実感してもらうことが重要だと考える。様々な選択肢を提案することはできても医療者側が決めることはできないことだらけであり、自由は何かからの解放であると考える子もいるかもしれない。それぞれの心だけはいつも自由であるべきであり縛ることは決してできないと思った。
今回の研修全体を通して両親の思いと子どもたちの自由を考えて、よりよい時間を過ごせるようにサポートすることの重要性を感じた。小児科医になる前にこのような貴重な研修をさせていただきとても有意義なものでした。お世話になった皆様、誠にありがとうございました。

【参考文献】

①The Japanese Journal of Pediatric Hematology/Oncology vol.52(3):258-262,2015
Kayo Nakata etc.
②医療従事者が知っておきたいAYA世代がんサポートガイド
(がん対策推進総合研究事業)AYA世代のがん対策のあり方に関する研究班(編)
③事例に学ぶAYA世代のがん サポーティブケア・緩和ケア
森田達也 他
④家族看護研究 第26巻 第2号 2021年
土本千春 他